広島・長崎に原子爆弾が投下されてから71年。
紛争が絶えない世界で核廃絶はいっこうに進まない。
唯一の被爆国であり世界の核廃絶をリードすべきはずの日本は、史上最悪の福島原発事故を起こし、それでも再び原発を動かそうとしている。
「長崎を最後の被爆地に。」
放射能の恐ろしさをいちばん知っていたはずの日本人が、なぜ福島の事故を起こしてしまったのか?
そしてなぜ今も原発にこだわるのか?
長崎の被爆3世の瑠衣子はこの疑問を胸に、原子力の平和利用の現場を旅する。
福島県浪江町では無人の町を歩き、仮設住宅でお年寄りの無念の思いに耳を傾ける。長崎の保養キャンプに招いた子供たちとも再会。放射能の恐怖に怯えながら暮らす親子の姿を目の当たりにする。
青森県六ヶ所村では試験運転中の再処理工場を訪問。地元で反対運動を続ける漁師とも出会う。
旅の終着地はマグロで有名な大間町。全炉心でMOX燃料を使用可能な世界初の大間原発の建設用地にログハウスを建て、持続可能な暮らしを実践するひとりの女性と出会う。
瑠衣子は母校の長崎大学核廃絶研究センターを訪ね、日本が47トンもの大量のプルトニウムを保有している事実を知る。
長崎に落とされた原子爆弾「ファットマン」の原料となった、あのプルトニウムだ。
いったいなぜ?
撮影班は、瑠衣子とは別に日米の政治家や専門家へのインタビューも試みる。
ジャパンハンドラーの異名を持つリチャード・アーミテージ、原発事故時の首相、菅直人、米国の“アトムズ・フォー・ピース”政策を批判し続ける歴史家、ピーター・カズニック、日米原子力交渉を担当した外務官僚・遠藤哲也・・・
やがて瑠衣子は、政治家たちが隠してきた重大な事実を知ることになる。
長崎に生まれた者として、決して許せない事実を・・・
そして、“日本の原子力の父”とも呼ばれるひとりの老人と向き合う。
プルトニウムがつなぐ長崎・福島・青森、そしてアメリカ。
瑠衣子の旅を追ったロードムービー。
原子力の平和利用、すなわち原子力発電は1953年、アメリカのアイゼンハワー大統領が国連で行った「アトムズ・フォ-・ピース」演説をきっかけに世界的に広がった。軍事技術として開発された原子力を発電などで平和利用することで、人類の生活はより豊かなものになるという考え方。日本でもこれに基づき原子力博覧会が開かれるなど「夢の技術」と喧伝され、唯一の被爆国でありながら54基もの原発が林立する原発大国の道を歩んだ。しかしそもそもこのアトムズ・フォー・ピース演説は、ソ連との冷戦の中で核兵器を保有し続けるためのアイゼンハワーの隠れた戦略であり、広島・長崎で被爆した日本は、原子力の平和利用の宣伝の場として格好のターゲットだったことが、識者のインタビューで明かされる。
日本は原子力政策の要として核燃料サイクル計画を推進してきた。原発で出た使用済み核燃料を再処理し、取り出したプルトニウムを高速増殖炉で燃やせば永遠に資源が有効利用できるという夢の計画だった。しかし高速増殖炉もんじゅは度重なる事故で完全に行き詰まり、福島原発事故で原発の将来そのものが不透明化。計画は破綻寸前だ。そんな中、日本がすでに保有しているプルトニウム47トンに国際的に厳しい目が向けられている。原爆6千発に相当する量のプルトニウムを削減する計画もないまま六ヶ所再処理工場を稼働させることには整合性がないうえ、東アジアの安全保障の脅威ともなるからだ。しかしその陰には、”潜在的核抑止力”ひいては”核武装の可能性”をも見据えた政治家たちの野望が隠されていた。
瑠衣子の故郷。1945年8月9日、プルトニウム型原子爆弾ファットマンが投下され7万人が死亡。爆心地に建つ浦上天主堂には“被爆マリア像”が安置され、原爆の恐ろしさを今も伝える。
「長崎を最後の被爆地に!」が被爆者たちの長年の願いだった。
福島第一原発より20キロ圏内にあり、全町民2万人が避難中。ゴーストタウン化した町と、隣の二本松市にある仮設住宅を瑠衣子が訪ねる。
日本原燃六ヶ所再処理工場が2018年の本格稼働を目指し試験運転中。瑠衣子はPRセンターを訪ね、反対運動を続ける漁師に話を聞く。
高級ブランドマグロで有名な下北半島最北端の漁師町。全炉心でMOX燃料を使用可能な世界初の大間原発が建設中。政府はここでプルトニウムを消費し保有量を削減する計画。瑠衣子は建設予定地に建てられた「あさこはうす」を訪ねる。